17日で-31秒出ていた。
この前進みに出ていたから遅らせたけれども、振り玉と振り竿に僅かのガタがあるから、そのガタでズレるのかな。
それとも温度的に暑いから金属が伸びている?
それだったら、遅れるのも分かるけれども。
毎分1回ゼンマイを錘の力で巻き上げるから、トルク的な誤差は少ないはず。
振り玉自体も数kgあってかなり重いから、一旦振り始めると極小のトルクで動き続ける。
フーコーの振り子は数トンだったかな。
それでも実際少しズレるらしい。空気抵抗もあるし、風が流れていてはズレるだろう。
観客が触っている可能性も否定できないし。
それを考えると、こちらは鍵付きの戸であるし、風防にもなっているから、床の振動やら、温度しか原因が無いかも知れない。
まぁまぁ、当時としては高精度な事は言うまでもなさそう。当時…というのは1920年代かな。
旧丸ノ内ビルヂング、丸の内ブリックスクエアにあるのが、同モデルの子供(slave clock)にあたるから、年代的にはそんなにハズレてはいないと思う。
これは30秒信号式に恐らく改造されていると思われるが、現役でデザインを保って動いている公共の小時計としては、恐らく他になさそう。
上の写真は現場で撮影したもの。
工場、会社で使用の場合は小時計と他に、時報のサイレンを鳴らして始業、終業を知らせる区切りが必要になる。
特に小時計を設置する程の大きい場所なわけだから、自動時報器がある訳である。
左の宮型は一見して普通の小時計に見えるが、内部は機械スイッチと端子で構成。見た目以上に大変に重い。
ピンを打った設定時間(5分間隔24時間)になると大凡25秒サイレン、もしくはベルを鳴らす様になっている。
この文字盤もやはり同じ物であるから、時代的には近い筈である。
左のバージョンは昭和に入ってからのペイント文字盤のタイプ。多分一番後期。
東京電気時計会社が恐らく先で、次いで沖電氣が同じ物を戦後も作っている。
阿部式電氣時計が何時迄作られていたのか分からないが、(明治後期)大正〜昭和初期迄と思われる。
整備してオリジナルに近い状態で動かしているのはかなり稀だと思うけれど、欧州じゃ結構マニアは多いから、色々と物が残っていて、且つ状態が最高に良い。
我國ではニワカ時計屋が歯車は抜くは、ぶっ壊すわで、非道な仕事をして廃棄に回る物が多い。
欠損した歯車やらレリーズを作るのが大変だった。
今迄動いていたのだから、不要な歯車なんてある筈がない。外したのなら、全て残しておいてほしい。いや、外す位ならば、触らないでほしい。
そもそも、直らなさそうだと機械の交換をすぐにしたがる時点で終わってる。分からないなら分かろうとしてほしいが、勉強もしないで触るから、壊して其の儘になる。勘弁して(ーー;)
恐らく旧横浜気象台の旧型親時計は、その口で壊してある様な気がする。現に動いていない。
使い方を知る人が居ないだけかも知れないが、錘は上へ上がっているし恐らく動き続けないのだろう。
戸の鍵と機械構造は同じであろう。
ただ文字盤の数字がギリシア数字だから幾分製造が古いであろうと推測。
真鍮に錫メッキの文字盤自体は大きさも同じ。
ケース丈も同じと見受けられるが、デザインが異なる。こっちの方が少しスレンダー。うちのは太っていそう。
もしかするとバージョン違いでアラビアとギリシアとを作っていたかも分からないが、詳細は分からない。
ps:茨城県 三の丸庁舎に阿部式時計があるらしい。似てるのあったというお客さん情報。
ググったらTwitterで三の丸庁舎をUPしている方が居られて、その内の写真を拡大して確認。
勝手ながらキャプチャさせて頂いた。
確かにパテント番号とABEのロゴと思われる。
どの写真も指針の位置は変化無い(部屋によって示している時間がズレているが)から、動いてはいない様だ。
こりゃ見に行かねば。
旧山形県庁舎の時計塔もそうだが、これもまだ見に行っていない。
自ら目視確認で現存確認出来ているのは、3箇所。
当方宅。旧丸ノ内ビルヂング。旧横浜気象台。
ps:
阿部彦吉
1864-1931 明治-昭和時代前期の発明家。
元治(げんじ)元年生まれ。東京で時計の技術を習得する。20歳で郷里の山形にかえって時計店を開業。自動発電無電池式電気時計を発明し,大正4年特許をえた。昭和6年10月9日死去。68歳。
前には載っていなかった記憶があるけど追記された様子。