大切しているから物持ちが良いとか言われているが、大切にしている方が逆に壊れるという事もあるし、蔵に放されて長い事寝ていた物の方が状態が良かったりして、必ずしも大切にしている物が状態が良いとは限らない。
“手入れ”というのも、傷付いたから再塗装してしまっては、オリジナルではなくなるし、状態は良いとは言い難い。
機械類は動かさなければ埃が積もってしまうし、動かさないなら、動かさない儘で放置されていた方が余程長く現状が維持出来そうだ。
安易に油をくれて、動かしてしまう方が余程壊す近道である事には違いない。
ポタポタと水が滴り、それが長い年月、石に当たり続けると、当たっていた場所がポッカリ穴が開く。
これは水が石を削ったという訳である。
廃墟のカーテンがボロボロに風化するのは、風がカーテンを削って風化させているのである。
埃の積もった機械に油をくれて動かすと、油が埃を連れて研磨剤の役目をする。
一時期は具合良く動く。
サビやらは、研磨によって削られ、具合が良くなるのである。
しかしそれが続くと穴の空いた石と同じく、シャフトは痩せ細り、ガタガタとメタルを鳴かせる。
シャーシは傷があってはならないから、旋盤引きも粗削りはナンセンスである。
荒削りで作られた物は触るとギザギザとしていて、ホゾも摩耗を早める。
綺麗に引けていても、僅かの凹凸が研磨剤の代わりをするから、仕上げに磨きを行う。
これは極小のペーパーかを巻いてスッと引く。
ピカピカになっていれば、大凡表面はツルツルに仕上がっている。
同様にホゾ側も穴空けをしたら、リーマーで表面を仕上げてバリの返りがあると、そこから摩耗が始まり、黒い粉(鉄粉)が出て、それがまた研磨剤の役割をするから、とにかく綺麗にしてやらないとならない。
常々言っているが、まだ分かってもらえていないが、機械は基本的に油をくれなきゃ動かないという代物は、既にダメになっている。
油が無くても潤滑に動かなければならないのである。
油は摩耗防止であって、潤滑を促進させるものであってはならない。
ソーイングマシンの業務用機は、油が入ったバケツに機械が浸っているが、あれは潤滑用ではない。高速で動かした際の焼き付き防止、耐摩耗の為である。
業務用映写機も、連続で油が流れる様に循環ポンプを内蔵している物があるが、これも焼き付き防止である。
エンジンもエンジンオイルやら、ブレーキオイルやら、色々なオイルがあるが、あれもやはり同じく焼き付き防止、摩耗を遅らす為の物で、不純物が増える頃に交換しましょう。というのは、僅かに摩耗した粉が油へ混じるから、濾過して摩耗を抑えましょうという事である。
蔵から出して来た埃だらけの機械に油を入れて動かすというのは、エンジンオイルに、埃を混ぜた濁った物を入れて動かしているのと同じである。
ヘルニアの人に、無理に重労働させて、完全に動けなくなるまで働かすのと同じである。
機械が摩耗して痛いというのに、其の儘動かすものだから、寿命を早く来させる近道という事である。
良い状態であれば100年であろうが200年であろうが使える。
ただ、元から使い捨てを考えて設計されている物は、どう足掻いても長持ちしない。
そういう設計は、根本から変えなければならない。要は別物が出来上がる。
ここ100年の内に色々な素材が出来てきたが、古くは今でいう価値のある素材が使われていたが、当時はそれしか無かったから、良いも悪いもなかったと考える。
必然的に良い材料とが揃い、其れ相応の手入れがされていれば、数百年と使い続けられる。
近代日本は何でも壊して、新しい物に置き換えたがるが、その昔は捨てる物がない具合だったが、今は物に溢れて使い捨てが常習になっている事と考える。
同時に修理の知識も勘も薄れて、昨今のサービスマンは全て、“マニュアル通り”である。
何が悪くて、どうなって症状が出ているのか、判断出来ないのである。
また、そういう機会を奪われている。
自分で考える事を止められている。
かと言って、プライドが高いだけのニワカ職人には何を言っても曲げないで壊して他人のせいにして押し付けるという輩も居るのも事実で、何故失敗したのかも理解しようとしない、逃げる。
まぁまぁ、その為に職人がいる訳でもあるのだけれども、本当の職人は、自分から挙手して仕事を掻き集める事はない。
私の知る限り、腕の良い職人は、頼み込まなきゃやってくれない。
自ら“やります、やります、仕事下さい”これは危険なニオイがする。職人気質が疑わしい。
営業がやっているならば、それはまた話が違うが、職人自身がそんなホイホイやる事はないだろう。
自分所は営業は居ないから(自分がモクの営業には行っているが)、口伝いでしか広がらないが、まぁそれで本当に良いと思う人が頼ってくれるのは有難いものだが、月の純利益が15000円はかなりマズイ。
光熱費が6万程。
新しい商売を考えているが、家族は危機感もないか、片付けをするわけでもなく、ノホホンとしているが、そんな事ももう出来ない。
部屋を貸すとか収入を得ないとマズイというのに、底を付かなければ現実が見えないか。
困ったものである。