耳の方は薬で何とか聞こえる様にはなっているけど、朝起きると元に戻っているのは毎日の事...
夕に電氣扇を廻して涼みながら、新しいアンプでも考えようかなとペンを取ったが、何かやる気が失せてしまって。
そんでもって他は寝ると上がってしまって、居残ったのは私だけに。居間で付けっ放しのテレビを消して、ディスクでも聞こうかと思ったが、それも何となく気が向かなくて、其の儘テレビを暫く眺めていたら、金曜ロードショーの時間になって、今回は“となりのトトロ”か。
いやあ、久し振りだなとボンヤリ見ていて、こんな進行だったかなと記憶が曖昧だったかなと見入ってしまって。
昨今のアニメ映画は、印影のグラフィクスの色数が大変に多くて、リアリティの高い仕上がりが多いけども、セル画はこうも明るかったかと再認識。
にしても、草壁氏は電蓄もあるし、結構裕福な家の育ち(?)らしいけれども、流石に電話迄は引いていないらしい。
専ら電報があれば、商売でなければ引く必要もないか...。
気になりドコロは幾つかあるけど、シーン内の、市外へ繋いでもらう様に交換手を呼ぶシーンがあるが、あれは僅か誤っている?
描写の機体は、共電式壁掛自動型2号を元にしたと思うが、自動型でも確かに交換手を呼び出さなくてはならないのであるが、自動型は市外用交換手迄は1回で呼び出せる。
であるから、あの呼び出し方は、自動型ではなく、磁石式電話機の呼び方であろう。
混んでいると待時通話でかなり待たされる。
...その筈なのに、劇中では待時時間が短いから、大きい局...なのかも知れない。
関東圏と関西圏では、交換機の割り当てが違うだろうから、あくまでも参考にしかならないが、私の使っている昭和3年製の自動2号には、“其の他の市外通話申込用110番”とあり、ここへダイヤルして、“東京の31局1382番”と伝えて、こちらの番号と名前を名乗って、待時通話を早急なのか普通なのかを言うのが、当時のスタイルと思われ。
ちなみに、この昭和3年当時は非常通報(警察)の記載は無いが、1110番が非常通報用番号であった。(場所によって番号が異なる)
自動式の簡易な流れ図。
左から、市内なのか市外なのか、ダイヤルして、交換所の古くはステップ バイ ステップの交換機を通して、交換所の交換手へ接続。
交換手に接続先を伝えて、待時通話になる。
交換手が先方局へ繋ぐ。
局番3ケタの場合は自動交換機で先方を直に呼び出せる。局番2ケタの手動交換用の場合は先方局に繋いでから、その局が加入者番号へ着信信号を送る。
このやり方は、旅館や事務所、役所等で私設交換所(手動のPBX)と大差ない。
私宅でも、ちょっと前迄はシーメンスキーをカチャカチャやって手動で交換していたのが懐かしい(笑)
終話ブザーが鳴って、表示が出たら元へ戻す。
着電は外線で受けて、接続先を聞いたら外線キープで、内線を交換台側ラインで呼び出し、繋ぐ事を確認したら、一旦スイッチを断って、今度は上の共通側ラインにて外線に繋ぐ。
通話のボタンを押すと双方に繋がった事が伝えられる様になる。
ちなみに、会話内容はオペレーターにダダ漏れであるから秘話は出来ない(笑)
他の内線が来れば、聞いている事は出来ないけども。
まぁそんな人の会話なんて聞いても面白くないから、待機に戻してしまうが。
それより何より、交換台に一番近い人が操作するという手間の食うやり方だったから、色々面倒くさい気もしていた(笑)だから自動にしたのだけどw
もうちょっと突っ込むと、電話機にも種類があって、共電とそうでない様式があった。
今でも、電灯線に繋いでないと使えない電話機は、共電とは言えないかな...?
共電式とは、局が48Vの電圧を送っていて、それを使って送受話する方式。2線式(稀に自動型でも局が古いと3線式)
また、共電の磁石式と書いてしまったが、共電の場合は、局の方で受話器が上がっているかの判断が出来るから、発電クランクは取り外される。
共電式ではない、個々にバッテリーを持った遠方型は、家の玄関横か、電話機内にドライバッテリーを2個程入れて使う。
定期的に手入れに局員が来る。
これは通話の際には、交換手を呼ぶ為に発電機を回して局線に大凡90Vの信号を送る。
局が近ければ共電でも良いが、昔の絶縁も線材も悪い物を長く引回すと、どうしても電圧低下が起きる。
更に雨が降って絶縁が落ちると、局の交換台の電力負担が大きくなってしまうし、誤接続が起きる。
これを解決するのに、田舎の方では共電ではなく、発電機と送話用電池を持った電話機が使われた。
トトロに出て来るのは共電式だから、そんなにド田舎ではない場所らしい。
割と近くに郵便局と交換所が一緒になった大きい局があると考えられる。
まぁ映画だから、どうとでもなっちゃうけど(^^;;
ちなみにトトロや猫バス(?)の見える状態、乃至近くに居ると、誰からも姿は見えないという事なのかな。劇中は“風になっている”という台詞がある。
触っていたトウモロコシは手放した瞬間から、その晦ましが解かれて2人に見える様になったという事かな。
昨今の映画は説明的(?)な印象で、隅々まで見せる様な気がして、何か考えさせる様なシーンがない様に思う。
CG技術が凄いというのもあるのだろうが。